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はみだしにっき

2005年1月29日

Do you understand that I love you?

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最近読んでいる本の主人公はクリストファーという15歳の少年で、彼は人の気持ちが分かりません。例えば私達は社交辞令を使うけど、クリストファーにはその理由が分からないから、それは意味のない会話だったり「嘘」だったりします。そんなクリストファーの目を通すと私達の偽善はミもフタもなく暴かれるようで、それが現実の自分の生活で起こったらさぞイライラするだろうと思いつつ、物語にはどんどん引き込まれています。

そう、程度とか使い方とか場面とかによるのはもちろんだけど、社交辞令はやっぱり必要。その根底には相手を不愉快にさせたくないという気遣いがあるはずだし、他人との無用な衝突を避けるために誰もが普通に使っているはずです。でも、それに疲れることがあるのも本当で、自分も相手もそんなモノは使わずに本音と本音でつきあえたらどんなにいいだろう、と思ったりもしますね、時々。・・・でも同時に、私達は本音がどんなに疲れるものかも知っていて、結局、本音の付き合いができる相手はもちろん大事にしているし、それとは別に、社交辞令の応酬だとしても会話を楽しめる相手がいたりして、またさらに、社交辞令さえも面倒な嫌な相手もどうしてもできてしまったりして、そんな濃淡がある人間関係を保っているハズです。

そんなことを考えつつ楽しく読み進めていたのですが、今日は悲しい場面に出会いました。クリストファーのお父さんが、ある日、クリストファーに自分の愛情を伝えようとするのです。愛しているからこそ、時に叱ることもあるんだ、と。でもクリストファーには「愛」がもとで「叱る」というつながりが理解できません。それでお父さんはせめて自分がクリストファーを愛していることだけでも伝えようと、「Christopher, do you understand that I love you?」と聞き、それに息子は「Yes.」と答えます。「なぜなら、誰かを愛することは、その人がトラブルに巻き込まれたら助けてあげて、その人の面倒を見て、その人に本当のことを言うことで、お父さんはボクがトラブルに巻き込まれているとき助けてくれるし・・・料理を作って面倒を見てくれているし、いつも本当のことを言う。つまりそれは彼がボクを愛しているということだ」。

それで私は「オーケー」と呟いて、ほとほと悲しくなってしまいました。きっとお父さんはクリストファーに気持を伝えることをとっくに諦めていたはずです。でも、このときはどうしても伝えたくなった。愛してるから。そのお父さんの気持ちを思うと・・・ってこれ、フィクションですがすっかり感情移入してます。だって、好きな相手にはせめて自分がその人のことを好きだって知って欲しいんですよね。そしてその人も自分を好きになってくれたらもちろん嬉しいけど、でもせめて、自分の気持ちを分かって欲しいと誰でもきっと思いますよね。そして愛情は、「面倒を見てくれてるし」なんていう理屈とは関係なく感じられるはずなのです。

クリストファーには決して悪意はないけれど、だからこそ悲しいのかもしれません。クリストファーもお父さんも可哀想で。私達は「人の気持ちを考えなさい」って小さい頃から言われて育つし、その大切さも分かってるつもりだけど、実際にどこまで人の気持ちを考えられてるかは私なんて自信ないです。ウッカリすると自分の気持ちを人に分かってもらうことばかり考えてしまいがちですが、でもその相手にだって気持があって、自分と同じように「分かって欲しい」と思ってるはずなんですよね。それを忘れないようにしたいと思います。

2005年2月8日

人の気持ち自分の気持ち

少し前に書いた、人の気持ちが分からないクリストファー少年の本ですが、そろそろ終わりそうです。物語はクリストファーの周りで壊れていく人間関係の数々を描きつつ進行していて、どんどん悲しくなっていくようでいながら淡々と終わるような予感もしてきました。淡々と終わりそうなのは、その悲しみを感じないクリストファーが物語を語っているから。

で、ギモン。

クリストファーよりは人の気持ちが分かるつもりでいる私達は、本当に人の気持ちを分かることができるのでしょうか。自分のことを言えば、人を知ることはできても分かることは結局できないと、ずっと思ってきました。それは諦めではなくて、そう思った方が「分かる」と信じて接するときよりも間違えが少ない気がするんですね。間違え・・・勘違いでしょうか。分かったと思っているときの多くは、「自分だったらこう考える」という思考回路を無意識に相手にも当てはめてしまっているだけだし、自分の理解が完全ではないと疑っていれば、誤解を修正できる機会も増やせるのではないかと。と言うと、実は分かると思っているように聞こえるかもしれませんが、本当に思ってないのです。自信もないし。

そしてもう一つ。私達がクリストファーよりも人の気持ちが分かったからと言って、クリストファーよりもいい人間関係を保てるのでしょうか。人の気持ちをできるだけ理解したとして、それが自分と違うことが分かって反発することは多々あります。クリストファーの周りでも、大人達はエゴをぶつけ合い、ドロドロに複雑です。現実の私達の生活も、似たようなモノなんですね。

人の気持ちを理解する努力はもちろん必要だと思う。気持は気付いたときには持っているもので、自分にも気持がある以上、それを守る知恵としてお互いに気持を尊重した方がよくて、分からないと尊重もできないから。それに、同じ感情を共有できる相手を、私達は常に求めてもいます。・・・だから、その欲求を満たすために、分かったつもりになってしまうと意外な落とし穴があるんですね。「そんな人だと思わなかったのに裏切られた」とか。「喜ぶと思ってしてあげたのに」とか。

自分の気持ちも人の気持ちも大事にしすぎると人間関係が濃くなってツライことはあります。かと言って自分一人で生きようなんて無理な話です。気付いたときには誰かを好きになっていて、それを伝えたいと思っている。この前も書きましたが。結局、大切なのはバランスで、傷ついたり傷つけたり、喜んだり悲しんだりしながら、私達はちょうどいいバランスを探し続けるしかないのかもしれませんね。・・・そこから解放されているクリストファーの人生は一見ラクだけど、人が自分に向けてくれる暖かさに気付くこともないし、自分自信の気持ちは感じないわけにはいかないので、いつも何かを怖がったり吐き気をもよおしたり唸ったりしています。

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