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はみだしにっき

2005年2月3日

奴隷解放の動機とは?

リンカーン大統領の年譜を読んでいてふと疑問に思ったのですが、リンカーンは何がキッカケで奴隷解放を考えるようになったんでしょう。アメリカ史は長い長い世界史の最後の方でちょこっと出てくるオマケ程度にしか知らなくて(かと言ってアメリカ誕生以前の長い長い世界史をよく知っているわけではもちろんないけど)、私の中でリンカーンは、リンカーンが奴隷解放を言い出したから内戦になった→結局アメリカでの奴隷制度は廃止された→リンカーンは奴隷解放の父、で終わってましたが、改めてというより初めてリンカーンに興味を持ってみると「何で」をどうしても知りたくなってきました。

北部と南部で事情は違ったにしろ、リンカーンが生きた時代に奴隷制度はフツーのことだったとすれば、それを廃止するというフツーじゃないことを考えるには「特筆すべきナニカ」があったんじゃないだろうか・・・。それにはもしかして、女の子のアドバイスがキッカケだったというヒゲにまつわるあの話のような、有名なエピソードでもあるんでしょうか?

話はかわって、先日「トリビアの泉」を初めて見たのですが(「新選組!」の武田カンリュウサイが司会でビックリ)、そのとき紹介された野口英世トリビアには溜飲が下がりました。なんでも自分の伝記を読んだ野口博士は不機嫌になって「これは悪い本だ」と言ったらしいのです。そこには「障害を乗り越え勉学に励み、自分の健康も省みず研究に全てを注いだ偉人」の物語が書かれていたのですが、実際はそうではなく、博士は「波があるのが人生だ」みたいなことを言ったらしいんですね。番組では野口博士がしでかした人から褒められないような色々が紹介されて、自分ではかなり「へえ〜」だったのですが、確かに完璧な人生なんてないだろうし、野口英世を生きた人間として感じられてなんだか好きになってしまいました。あれを見てガッカリした人はきっといなかったと思うし・・・。

で、リンカーンに戻りますが、リンカーンの少年時代には「短期間学校に出席」という記述がところどころに見られて、貧しかったためか学校嫌いだったのか教育制度が確立されていない時代だったからか、多分その全部なのか、とにかく学校にはあまり行っていなかったようです。それで私はすぐに「貧しさを乗り越え勉学に励み、奴隷解放の高い理想に燃えて大統領になり、自分の命と引き替えに多くの奴隷の自由を勝ち取った偉人像」を作ってしまうのですが、それは後の時代に生まれた私がゴールからスタートを眺めるようなものなんでしょうね。本当はリンカーンはどういう人だったんでしょう。どうして奴隷解放の父になったのでしょう。うーん、ちょっと面白くなってきました。

2005年2月5日

日系二世部隊

どうも私は勘違いしていたようで、奴隷解放はリンカーンが言い出したわけではなかったのですね。大統領に選出された時点で、リンカーンは奴隷解放を名言していなかったようです。ただ、リンカーンが属していた共和党が解放を訴えていた。で、共和党候補が大統領に選出されたものだから南部の各州は連邦離脱・新政府樹立という行動に出て、そこから南北戦争に発展していった、ということらしいです。

リンカーンや南北戦争をインターネットで調べていたら、「Hawkeye大尉の野戦病院」というサイトに出会いました。で、リンカーンからは離れるのですが、ここで紹介されている第二次世界大戦のときの日系移民のエピソードを、ちょっと夢中で読んでしまいました。みなさんはアメリカ陸軍の「第100歩兵大隊」「第442連隊戦闘団」という名称を聞いたことがありますか?ハワイにいるとボ〜ッとしていても目に入る、日系人だけで構成されたグループです。・・・これについて考えたり話したりを始めると胸が張り裂けそうになったり、止まらなくなったりするので、とりあえずここではこのサイトをご紹介しておこうと思います。ぜひ読んでみて下さい。「二世部隊物語」というコーナーです。

2005年2月12日

リンカーンの誕生日

うーん・・・。2月12日はリンカーンの誕生日で、今月の目標としてはそれに合わせて若き日のリンカーンが描かれているイリノイ州のクォーターのお話をアップしたかったのですが、全然そういうことにはなりませんでした。リンカーンの履歴や演説を読んでみたり南北戦争のことを検索していたら、面白いサイトに出会って横道にそれまくり、ついでにトリノで開かれるオリンピックの365日カウントダウンが始まったとかで、公式サイトを覗いてみたりしてしまい・・・。楽しんでるんですけどね。

リンカーン調査の中間報告がてら、今日は本人が書いた履歴の冒頭をご紹介します。これが書かれたのは1859年、リンカーンが50歳のとき。大統領に選ばれる前年のことです。

I was born Feb. 12, 1809, in Hardin County, Kentucky. My parents were both born in Virginia of undistinguished families - second families, perhaps I should say. My mother, who died in my tenth year, was of a family of the name of Hanks, some of whom now reside in Adams, and others in Macon counties, Illinois. My paternal grandfather, Abraham Lincoln, emigrated from Rockingham County, Virginia, to Kentucky, about 1781 or 2, where, a year or two later, he was killed by Indians, not in battle, but by stealth when he was laboring to open a farm in the forest. His ancestors, who were Quakers, went to Virginia from Berks County, Pennsylvania.

「私は1809年2月12日、ケンタッキー州ハーディンで生まれました。両親はどちらもバージニアの平凡な家庭の出身です。二流家庭と、おそらく言うべきでしょう。母は私が10歳の時に亡くなったのですが、ハンクスという名前の家族の出でした。彼らのうち何人かはイリノイ州のアダムス、その他はメーコンに住んでいます。父方の祖父アブラハム・リンカーンは、1781〜2年にバージニアのロッキンガムからケンタッキーに移り住みました。その1年か2年後、そこで彼はインディアンに殺されました。闘いでではなく、彼が森で農場を開くために作業しているときにひそかに殺されたのです。彼の先祖はクエーカー教徒で、ペンシルバニア州バークスからバージニアに移り住みました。」

おじいさんがインディアンに殺された、というところで私はひぇ〜っとなってしまったのですが、まだインディアンと移民との間で抗争があった時代なのでしょうか。闘いで殺されたのではないと書かれていますが、殺人事件の犯人がたまたまインディアンだったということなのでしょうか。

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お母さんの旧姓はハンクスだそうですが、この人は俳優のトム・ハンクスの8代前の祖先ジョン・ハンクスの曾孫だそうです。と、いうようなリンカーンに関する豆知識が「雑学庫 知泉」というサイトに載っています。面白いですよ。トップ→雑学知泉→人名→海外→り→リンカーン、とたどると見られますが、面倒な人はこの直アドレスをクリックしてみてください。

※追記
いま(12日深夜)読み直していて気付いたのですが、リンカーン家の人がペンシルバニア→バージニア→ケンタッキー→イリノイと移っていったというのも、アメリカ合衆国が西へ西へと開拓(侵略?)を進め、国土を広げていった歴史をそのまま見るようですね。ペンシルバニアからバージニアは南下していますが、そこからケンタッキー、そしてイリノイへは西への移動です。(引用した部分には書かれていませんが、リンカーンはケンタッキーで生まれ、後にイリノイへ移りました)

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