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はみだしにっき

2010年2月9日

時津風部屋での暴行事件について

このところ、相撲部屋で起きた暴行事件の記事を(遅ればせながら)読んでいるのですが、なんか気分が悪くなります。角界内外の、相撲を特別視する感じに違和感を覚えます。うーむ。うーむ。いま気絶しそうに眠いので、またできれば気持ち悪いわけなどを書きたいと思いますが、いっつもそんなことばっかり言ってる気もしますねえ。このところ、やりたいこととかやりかけのことばかりが増えてしまって、それをやり遂げる時間が全然ないというか。ふう。

・・・と、愚痴ってもしょうがないのですが。記事を読みつつ、「ぶつかり稽古ってなんだ?」とふと疑問に思い、そう考えてみると相撲のことを何も知らないな、と思って検索していたら面白い取材記事を見つけました。今回の事件に関連したものではないのですが、読みふけってしまいました。相撲がなんとなく国技と呼ばれるようになったいきさつとか、おすもうさん本人たちにはそんなつもりがなかった感じとか、いろんなしきたりがあるんだけど、それぞれの意味は別にハッキリしてないこととか、とにかくモヤモヤしてるんだけど、そのモヤがかかった感じこそが角界じゃないかな?とモヤモヤなのにすごくスッキリと溜飲が下がってしまった、とてもいいレポートです。

「おすもうさん」http://web.soshisha.com/archives/sumo/index.php

この文章の中で、相撲取りに武士道が求められていることを知ってビックリしてしまいました。日本人なのに相撲のことを知らなさすぎるかもしれないけど、でもビックリ仰天です。

・・・あともう一つ今回発見したことが。琴欧州さんてすっごくかっこいいじゃないですか。あんな美しいお相撲さん見たことないですよね。千代の富士さん(九重親方)もかなり美男だと思いましたが。

そうそうそう、もう一つ。栃東関の断髪式での涙を見てジーンとなりました。栃東さんとは一緒に写真を撮ってもらったことがあるので、なんとなく。

2010年2月11日

時津風部屋での暴行事件について・再び

・・・で、連日、新たに分かった事件の詳細が報道されていますが、大きな流れは、

「時津風部屋の若い力士、時太山こと斉藤俊さんが度々脱走していたので、前時津風親方の山本順一容疑者をはじめ兄弟子たちが躾と称して(躾のつもりで)暴行を繰り返した結果、斉藤さんを死なせてしまった」

ということですよね。日本時間2月10日付のニュースでは、死亡の6日前に斉藤さんが脱走し、夜には喫煙していたのを兄弟子が見て腹を立て、部屋で暴行したのがその後斉藤さんの死まで続けられた一連の暴行の始まりだったようだ、と伝えられています(東京新聞)。斉藤さんは「もう一度頑張る」とか「心を入れ替える」と言っていたようですが、それも暴行への恐れから出たもので本心ではなかったのでしょう。どちらにしても、その言葉にもかかわらず脱走を繰り返す斉藤さんに、兄弟子は「裏切られた」と感じた、と記事にはあります。

この一連のニュースを読んでいて私が気持ち悪くなるのは、角界が私たちが住んでいる日本(私はいま日本に住んでないけど)とは別世界か何かのように感じられること。租界か?みたいな。斉藤さんの喫煙についても記事には「禁止されていたたばこを吸った」と書かれていて、喫煙は時津風部屋で禁止されていて、その部屋の決まりを破った弟子は制裁を受けて当然という空気が部屋の中にはあったのかな、と私には読めました。でもねえ、斉藤さんは当時17歳だったのです。部屋のきまり云々の前に、法律上、喫煙してはいけない歳でした。

斉藤さんが本当に喫煙したのか、だとしたらそれがいいか悪いかを私はいまここで話すつもりはありません。私が言いたいのは、部屋の兄弟子なり親方は「部屋で禁止してるのに」と部屋レベルで腹を立てるべきではなかったということなのです。部屋の決まりより国の決まりの方が大きいんだから、普通に常識的に注意すればいいじゃん。そこで治外法権か何かを持っているかのように「自分にとっての善悪」「部屋の規律」で個人的に斉藤さんを責めたために責め方も個人的なリンチになってしまったんじゃないでしょうか。

報道する方も「禁止されていた喫煙」とわざわざ説明する必要はないわけです。日本人が「17歳が喫煙した」と聞けば、その17歳が相撲部屋に所属していようと、別の仕事をしていようと、どこかの学校に通っていようと、「いけない」と考える前に分かるものでしょう?「禁止されていた」って説明はいらないでしょう?わざわざこの説明があるために、「もし時津風部屋で禁煙がオッケーだったら斉藤さんもその夜は暴行されなくて済んだのに」という気分がこの記事に張り付いてしまうじゃないの。・・・と、感じるのは私だけでしょうか。

あとね、脱走が暴行の大きな原因だったというのも納得できないのです。脱走するほど嫌なら辞めさせればいいだけのことでしょう。相撲部屋の弟子は、ある期間なりある程度出世するまでなり、部屋に留まる契約でもあるのでしょうか。契約なら破棄した方がそれなりの賠償をすれば済む話だろうし、そういうビジネスライクな義務以外の、誰かが「躾」を受けるべき理由が私には見つけられないのです。あの人たちは相撲を仕事としてやってるわけでしょう。もちろん私たちが勤める企業とはちょっと違うでしょうけど。でもこれを例えば私が勤めるホテルに置き換えて考えたらどうでしょう。もし私が仕事が嫌で脱走したとして、誰が「腹を立てて」「躾のつもりで」「暴行する」でしょうか。おそらく即クビになるか、もしくは上司なり人事との話し合いの場が持たれ、問題点の解決を計るか、厳重注意を与えられるか、どちらにしても個人的なアツい感情的な状況にはならないはずです。それがどうして相撲部屋の中では感情的で幼稚な制裁につながってしまったのか。

それとですね。これだけバカバカしい話を、未だに頑張って「国技である相撲を穢す事件」みたいに語る必要があるんですかね?そんな格調の高さが必要な事件じゃないでしょう。判断力のない人間がトンチンカンな権力(親方だの兄弟子だの)をふりかざして若者をいじめ殺してしまった、それが角界で起ころうとどこで起ころうと、呆れた悲しい事件なわけです。それが「神聖な」相撲界で起こったから悲しさも呆れる加減も倍増ってことかもしれないけど、どうしてそこまでの神聖さをあの人達に求めるのでしょうか。そうやって相撲を特別視して、「一般人」が踏み込めない租界にするのはやめるべきです。しかも、もしも相撲が本当に国技として神聖でないといけないなら、本当はむしろ監視を厳しくするべきじゃないだろうか(私は個人的には神聖な相撲じゃなくて力比べの娯楽としての相撲が本当じゃないかと思うし、そう扱った方が相撲を健全に保てると思うんですけど)。外からどんどん立ち入って中身をチェックするべきじゃないだろうか。で、神聖な国技を担うにふさわしい人を国家試験ででもなんでもして選べばいいじゃないですか。神様に奉納する舞や音楽と同じく、型を大事にし、勝負は二の次ということにすればいいじゃない。

でもそれは違うでしょう?私たちが相撲を見るとき、見たいのは型の美しさなんかじゃなく(相撲ならではの所作は確かに面白いけど)、立ち合いの独特の呼吸とか、巨体がぶつかり合う迫力とか、勝負の緊迫感とか、そういうものでしょう?お酒飲みながら、座布団飛ばしたりしながら、ラクな気分で見る物でしょう?私は相撲には興味がないし、わざわざ見たことはないけど、それでもたまたま相撲中継がテレビに映ってたときなんかは、お相撲さんのちょんまげが乱れてしまうような激しい取り組みにこそ目も心も奪われました。あれを「神聖な国技である相撲を取る力士のちょんまげが乱れることは許されません。よって静かで優雅な取り組みを披露するように。観客も姿勢を正して静かに観戦するように」なんてことになったら見ないでしょう、私たち。で、そういうことにはなるはずがないんだけど、そういうことになるはずがない相撲に、そういうことを求めている矛盾が、いまの角界を取り巻く状況じゃないのかな。

なにも私は角界の外に全ての問題があるなどと言うつもりはないんです。もちろん、まずはやってる本人の問題だと思うのです。当然でしょう?相撲取りである前に人間なんだから。人間としての常識が必要でしょう?その常識がどうにも通らない世界になってしまってるな、これじゃマズいな、と感じられる普通の人が一人もいなかったとしたら、角界って恐ろしいじゃないですか。非常識なスキャンダルしか世間に提供できないんじゃ、国技が聞いて呆れるじゃないですか。そしてその非常識を、もしも私たちが「でもお相撲さんだから。私たちとは違うから」って見逃すなり受け入れるなら、私たちもどうかしてるじゃないですか。今回の事件でも「角界という特殊な世界で起きた事件だけに、捜査も難航した」と言われてますが、なんだそれ、って思うじゃないですか。気持ち悪いんです。こうなってもまだ、国技国技って持ち上げる必要があるのか?「国技として恥ずかしいから一般のスポーツに格下げ」とかさ。「今後どのスポーツを国技にするか国民投票」とかさ。それくらいでもいいんじゃないの??

斉藤さんのお父さんが言った「俊は『相撲界のうみを出してきなさい』と神様から使命を授けられた。今ではそう思っています」という言葉、言い得てると思いました。お父さんにしてみれば、そうとも思わないとやりきれないでしょう。そして、そんな大きな犠牲が必要だったことが相撲界の問題の大きさを語っていますが、斉藤さんのためにも、この機会に徹底的に膿を出して欲しいです。斉藤さんのお父さんは、「相手が大きすぎるから揉み消されるんじゃないかと心配していた」とも言っていました。それを読んだとき、私まで絶望で目の前が真っ暗になるような気がしたんです。だから、これから事件の全容と、それに伴って相撲界の現在の姿を見られること、そして角界が健全になることを期待しています。

亡くなった斉藤さん。お父さんが言ったように、そんな大きな使命を背負ってしまったのでしょうか。そんなつもりはなかったのに、不幸にしてそういう結果になってしまったんですよね、きっと。まだまだ人生はこれからだったのに、例えば相撲を辞めても、ほかの道を始めるのに充分な若さだったのに、無念だったと思います。痛かっただろうし、辛かっただろうと思います。いまはその全てから解放されて、静かな眠りにつかれていますように。

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