いつもより待たされ、なかなか明けない梅雨、梅雨のさなかの台風。そして突然訪れた暑い暑い夏。例年とは違った夏の始まりだった広島は、その日の朝も違っていました。
8月6日の早朝、予報通りの雨。けれど、平和記念式典が始まる時刻には小雨に変わり、暑さも増していきました・・・。
今年の小うに一家は、家族になって初めて、8月6日の日に広島を離れていました。
どうしても事情があり、旦那さんの実家へ帰省していたのです。
そこで今年は、前々から「行ってみたい」と言っていた長男(小学3年生)と、原爆の日の前に、平和記念資料館へ行く事にしました。今回は、その事をレポートしてみたいと思います。
7月26日(木) 快晴の広島は朝から暑く、私達が着いたお昼過ぎには30度をこす暑さに・・・。自宅からバスと、電車を乗り継いで約一時間半。まずは原爆ドームへ。
原爆ドーム
平和記念公園周辺ガイド
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/frame/Virtual_j/tour_j/guide1.html
学校での平和学習で教わったらしく、元は産業奨励館として広島の産物を展示していた事は知っていました。(被爆当時は内務省などの事務所になっていました)が、「ここの上で爆発したんでしょ?」の質問が。正確には、やや東にずれた『島病院』の中庭上空とされているので、そちらも訪れることに。現在の病院横に原爆被災説明版があります。小さな碑ですが、千羽鶴がそなえられ、修学旅行生や外国の方たちが次々に訪れます。
現在の島病院と病院横の碑。
公園に戻ってすぐにある『動員学徒慰霊塔』へ。戦時中は中学生からもう働かされていた事、それぐらい成人男性が出兵していた事を説明しました。このあたりから、セミやバッタに目が行くように・・・。碑めぐりはこれぐらいにして、元安橋を渡り、2002年に会館した『原爆死没者追悼平和祈念館』へ。ここは、原爆で亡くなった方の名前と写真を展示した『追悼空間』と、被爆体験記を紹介するライブラリーがあります。子供用パンフレットも用意され、館内のコンピューター接続すると、ひらがな表示で遺影や体験記、資料の検索も簡単に出来る様になっています。子供はのみこみが早く、さっそく被爆証言ビデオを閲覧していました。資料も豊富で長居がしたいところですが、今日の目的は資料館。平和の灯を横目に資料館へ急ぎます。

左)動員学徒慰霊塔
中)原爆死没者追悼記念館の入り口
右)原爆死没者追悼記念館内で遺影検索
原爆死没者追悼平和祈念館の天井部に当たる、
館内入口のオブジェ。原爆瓦が使ってあります。
1949(昭和24)年 広島市中央公民館に設置された『原爆参考資料陳列室』(原爆記念館)から始まった資料館は、1955(昭和30)年平和記念公園内に、恒久平和を記念する施設として、『平和記念館』『平和記念資料館』が開館されました。1994(平成6)年の改築を経て現在にいたります。被爆者の遺品や展示の本館と、被爆前後の広島の歴史を展示した東館に分かれています。
平和の灯、慰霊碑、資料館。
まずは受付入口のある東館へ。
中は広島ではない方言がたくさん飛び交い、全国から修学旅行生や、子ども会らしきグループ、世界各国の団体、家族連れでごったがえしていました。どちらかといえばアジア系な方は団体で。欧米の方は家族や5〜6人のグループで訪れている方が多いようでした。
資料館の中。ぼけてしまいましたが、人の多さがわかりますでしょうか?
人の多さに圧倒されながらも、東館1階から2階そして本館2階へと進みます。今回は子供の思うままに任せてみようと、口を出さずに見守ります。難しい漢字にはふり仮名がありますが、解説は読まずに足早に通り過ぎ、映像などは興味ありげに足を止めます。私への質問はほとんどなく、ヒロシマピースボランティアの解説には時折耳を傾けます。東館、本館ともじっくり見ることはあまりなく、1時間かからずに見終えました。一番足を止めていたのは、本館の被爆直後の様子を人形で再現した『生死をさまよう』と、直接触れる事の出来る原爆瓦のコーナー。被爆した瓦の表面は熱線で溶けて泡状になっています。
資料館の中の原爆瓦のコーナー。実際に触ってみました。
親としてはもっと興味深く、ゆっくりとまわってほしかったのですが、残念ながら子供の興味はこの程度。折に触れ祖父母や親類の事も話してきたのですが、身近な問題として考えられなかったようです。今回は父さんとも良く話し合い、「口は出さず」子供の見たまま、感じたままに・・・をしてみたのですが、何度も「もっとよく見なさい」と、言いそうになりました。改めて子供に伝える事の難しさを痛感しました。資料館を出ると、真正面は原爆死没者慰霊碑。式典前なので献花が全くありません。けれど、こちらの方が祈る場のように感じます。
慰霊碑(左)と慰霊碑前の広場。6日にはここで式典が行われ、
参列者が座るイスが、芝生に並べられます。
ここから原爆の子の像、原爆供養塔と参拝し、子供にとっては初めての『平和の鐘』へ。
平和の鐘。
『平和の鐘』は、式典の時は会場に移され、黙祷の間、遺族代表の方が撞きますが、普段は、公園内の一角、蓮池の中の鐘楼にあり、誰でもつくことが出来ます。昨年も思ったことですが、公園内には本当に外国の方が多いです。
原宿の若者にインタビューをすると、ほとんどの若者が、8月6日、9日に何が起こったのか知らないのが現実の日本。我が子にさえ原爆のことを伝えるのは難しいけれど、せめて、日本人として被爆の日ぐらい知っていてほしいものです。
そして、私も子供と一緒に伝えることの大切さを考えたいと思います。
原爆投下の際、上空から投下目標にされたT字型の相生橋。
前方に広電が走っています。
September 6, 2007
小うに
ひろしまに出会えるウェブページ
中国新聞 原爆・平和特集
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/2007/news/index.html
平和宣言(広島市長)
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/index.html
平和への誓い(こども代表)
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1186138158188/index.html
ひろしま生協 碑めぐリマップ
http://www.hiroshima.coop/match/match-1.html#5
被爆者の声
http://www.geocities.jp/s20hibaku/
September 19, 2007
