マリー・アントワネット

2006年アメリカ、123分

監督:ソフィア・コッポラ
出演:キルスティン・ダンスト、ジェイソン・シュワルツマン
公式サイト:http://www.ma-movie.jp/

web
2007年3月23日

フランシス・コッポラ監督の映画「マリー・アントワネット」、劇場で見たかったけどうっかりしているうちにロードショーは終わってしまい、日本でのロードショーも終わってしまい(まま、日本でのロードショーは物理的に見るの無理なんだけれども)、先日 DVDを衝動買いしました。面白かったです。

マリー・アントワネットのことって、どう言えばいいかよく分かりませんよね。悲劇の王妃と言われればそういう気もするし、悪女と言われればそういう気もするし。でもこの映画が訴えているように、あの有名な「パンがないならケーキを食べればいいのに」という発言は、実は彼女はしていなかったらしいんですね。ソフィア・コッポラ監督が、作られたイメージのマリー・アントワネットではなく、現実の生身の人間、私たちと同じ感情を持った人間としてのマリー・アントワネットに迫ったところは面白かったと思うんです。その作業って、常に「実際はどうだったんだろう」って迷うだろうから怖いだろうし骨が折れるだろうし、それをあえてやってみたところで、結局「実際はこうだった」とは誰にも言い切れないんだけど、それでも、それをあえてやってみるのって意味のあることですよね。

学生のときに行ったフランスの美術館か宮殿で、ある部屋にちょこんと置かれていたマリー・アントワネットの胸像を見たとき、何故かしばらく離れられなかったのを覚えています。スケッチもしたりして・・・。立派な大きな肖像はたくさんあったはずなのに、それがマリー・アントワネットかどうか確認できないような小さな胸像にしばし釘付けになりました。「確認できないけど、この顔は絶対にマリー・アントワネットだ」と思うと何故か胸がドキドキしました。

彼女の実家のハプスブルグ家の人って、みんな同じ口をしてるんです。受け口気味で、上唇に比べて下唇が厚い。その胸像もそういう口でした。で、言われてるほど美人とも思えなかったし、賢明にも見えないし、お母さんのマリア・テレジア女帝みたいな貫禄も別にないし、どうってことないんです、ハッキリ言ってしまえば。だからきっと、マリー・アントワネットが贅沢と我が儘の限りをつくしたのは、自分の地位を過信して溺れたというより、頭のあまり良くないお嬢さんが考えなしにやってしまったというのが正解なのかな、と思いました。人を見かけで判断しちゃいけないけど、中味ってある程度は人相に現れるでしょう?

この映画ではさらに、祖国を離れてフランス宮廷に入ってからの孤独、夫の性的不能と世継ぎ出産のプレッシャーに挟まれた苦しみなんかが描かれていて、ストレス溜まってたんだな〜って同情したくもなります。しかも時代的にも戦争なんかで国が傾いていて、不運だったと言えなくないんですよね。でもまあ、そういう状況でも知性で乗り切って尊敬されるような人もいるはずだから、彼女個人の能力の限界もあったんだろうとも思う。ただ、悪女と呼ぶには意図がなさすぎる人だとは思いました。(この映画が正しければね)

ちょっと残念だったのは、国王夫妻がヴェルサイユを出るところで映画が終わってしまうことでしょうか。そのあとのマリー・アントワネットは国外逃亡を試みたり、それまでの何も知らないただのお嬢さんからは一転したと思うのです。その対比を見せても良かったと思うし、それにやっぱり、この人がギロチンにかけられる瞬間てどうだったんだろうって、華やかなシーンを見ながら何度も思ったし・・・。だからこそ、そこまで見せないで「あとは知ってるでしょう」的に終わらせたのはニクイのかもしれませんけど?

マリー・アントワネット マリー・アントワネット

ここでちょっと、マリー・アントワネットの肖像画(部分)を二つ見てみましょう。1783年、彼女が28歳のときに描かれたものと、10年後の1983年、処刑直前に描かれたもの。この変わり様にもドキリとさせられます。処刑されたのが38歳とすると、いまの私の年とそんなに変わらないんですけど、そうやって自分と比べると新たな感慨が・・・。やっぱり波瀾万丈でしたよね、マリー・アントワネット。

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