昨夜これを見たあと、何もしたくなくなりました。ちょっと呆然としたというか、そのあと日常のもろもろ・・・歯を磨いて寝るとか、そういうことが遠い世界のように感じられたし、そういうことは全然したくなかったし、思考もちょっと止まってました。今日もまだちょっと現実に戻れないというか。仕事に行った帰り、映画の中でディカプリオがさんざん飲んでいたアブサンを試したくなって探しまわったり。やっと見つかったと思ったら高かったので、アブサンはどこかに飲みに行くことにして家に帰って来たり。それでまた見始めてしまったのでまたちょっと呆然としかけてるし。
日本で劇場公開されたとき見たんですけどね。「バスケットボール・ダイアリー」でディカプリオを知って、彼の美貌や演技に興奮して、友達と一緒に名前を懸命に覚えて、次に見たのがこの映画だったはずなんです。公開されたタイミングからして。ランボーのことは「分からない」と思う以外何も知らなくて、だからディカプリオがランボーを演じているという以外は映画の中で何が起こっているかは分からなくて、だけどそれはあのときあまり関係なくて、きっと数々のディカプリオの美しい顔とか、数々のセクシャルなシーンとか、数々の暴力的でエキセントリックなシーンとかのインパクトで充分だったんでしょうね。映画のあと友達とお茶したり電車に乗ったり、そういう普通のことができたのかなあ?と、ちょっと不思議な気がします。
「太陽と月に背いて」はフランスの詩人ランボー(1854-1891)が同じく詩人のヴェルレーヌ(1844-1896)と過ごした四年間が描かれています。二人は10歳離れていて、出会った時ランボーは16歳、ヴェルレーヌは27歳でした。芸術家同士はインスピレーションを与え合うだけに留まらず、もしくはその手段として同性愛の関係を始め、ヴェルレーヌは妻子を置いてランボーと旅に出ます。映画の中ではランボーはヴェルレーヌの経済面での支援を最も必要としていたようにも見えますが、「僕は何を書くかを知っている、君はどう書くかを知っている」と、ヴェルレーヌから学ぼうとしたことも告白しています。
二人は愛し合っていたのかどうか・・・・。ヴェルレーヌがランボーに「Tell me you love me.」と言ったとき、ランボーは「You know I’m very found of you」と答えました。ヴェルレーヌの表現が相手への忠実を約束するタイプの恋愛関係を言っているのに対し、ランボーの答えは相手を大好きだし気にしているんだけど、必ずしも忠実な恋愛感情というわけではありません。二人の言葉とは裏腹に、愛している相手がたくさんいるヴェルレーヌと、ヴェルレーヌしかいないランボー。ランボーと妻の間をさまようヴェルレーヌと、ヴェルレーヌしかいないランボー。言葉を使うときの、ランボーの真摯さとヴェルレーヌの軽さの対照を見たようにも思いました。ランボーが彼の体か魂かをヴェルレーヌに選ばせたとき、ヴェルレーヌは「体」と答えるんです。それをランボーは鼻で笑うんだけど、ランボーは、それが自業自得だとしても、孤独だったと思う。少なくとも映画の中のランボーは切ないです。
今回は、ランボーのバイオグラフィーや詩(分からないからちょっとだけ)や手紙(たまたま見つけた映画で引用された手紙)、それにヴェルレーヌのバイオグラフィーも読んだので、最初に見落とした点をだいぶ拾えたと思います。
例えば、ロンドンでランボーの挑発的な言葉に怒ったヴェルレーヌが船で去ったあと、二人がブリュッセルで再開するシーンには、ランボーの謝罪の言葉がナレーションでかぶるのですが、それは実際にランボーが書いた手紙でした。原文はフランス語のはずなので、いくつもの訳があるはずですが、映画ではこうでした。
Come back. Please come back. You’re my only friend. I promise you I’ll behave myself. It was only a stupid joke. I can’t tell you how sorry I am. When I called you, why didn’t you get off the boat? We lived together for two years to finish like this? Think back to what you were before you met me. Listen to your heart.
戻ってくれ。頼むから戻ってくれ。君は僕のたった一人の友人だ。行儀よくすると約束するよ。あれはただのバカな冗談だったんだ。僕がどれほど申し訳なく思っているか言葉にできない。僕が呼んだ時、どうして船を降りなかったんだ?こんな風に終わるために僕たちは二年間一緒に暮らしたのか?僕と出会う前の君が何だったか思い返してくれ。君の心を聞くんだ。
それから映画の最後、ヴェルレーヌがランボーを思い出すシーンで、ランボーが「見つけたよ」と言います。「何を?」と聞くヴェルレーヌへのランボーの答えは、
Eternity. It’s the sun mingled... with the sea.
永遠。海と混じり合った太陽だよ。
そこでブワーッと泣きたくなるのですけど(私はね)、ランボーの「見つけたよ」、ヴェルレーヌの「何を?」も含め、それは「永遠」というランボーの詩の一部でした。
映画の最初に出る字幕に、この映画がランボーの詩や手紙をもとに作られたとちゃんと書いてあるのですが、それもそういうものを読んだこともなければ分かりませんよね。今回、この二カ所を見つけてドキドキしました。
批判はどんな作品にも付いて回るものかもしれませんが、「太陽と月に背いて」は、ランボーとヴェルレーヌの活動が文学界に与えた偉大な影響が語られていない、また、(私の様に)背景を知らない観客には理解が難しい、という批評があったようです。まま、それは言い得てると思う。でも、映画ってそれだけが目的でもないのでね。この映画は二人の退廃的な関係や生活や、言葉を生業とする人たちの言葉の紡ぎ合いは充分描いたと思います。
ランボーが言った「唯一耐えられないことは、耐えられないことなんて何もないってことだよ」とかね。そんなことばっかり考えたり言ったりしてるのってどう思います?私はイライラするんだけど。だからランボーの詩も分からないんだと思うし。でも、決してそれは嫌いということではないんです。イライラするから私は考えないけど、ランボーは考えていたんでしょうね。で、耐えられないと普通は思われることをわざわざやってみて、それがエスカレートしていったように映画では見えます。そういうこと全霊をかけてやっていたら精神も消耗するだろうし、ランボーが若いうちにパッタリと詩作をやめてしまったのも、極限まで考えつめて本人としてはやり遂げたのだろうとも思うし。ヴェルレーヌときっぱり会わなくなったことも含めて、ランボーの人物像が垣間見えるような気がしました。自分が欲しいものが何かをいつも自覚していて、それ以外は切り捨てられる、冷たいとも強いとも言えるような。
私はもともと退廃的な感じに憧れがあると思うんだけど・・・。それできっと、この映画の「ディカプリオが演じるランボー」にものすごく惹かれるんだと思います。自分のものにしたいような気もするし、でもあんなのと生活したら一ヶ月もたないとも思うし(笑)。
一方のヴェルレーヌは、きっぱりしたところがどこにもなくて、いつもグズグズしていて、アル中で身を滅ぼし、妻子にもランボーにもすがりついて捨てられた情けない男です。で、ランボーに「君は暴力を振っておいて、あとで犠牲者に謝って侮辱する。人を傷つけたくないなら傷つけるな。傷つけるならクールにやれ」とキツーく言われてます。私は演じているデヴィッド・シューリスが好きになれなかったこともあって、映画を通して気持ち悪い思いをし、でもその対比で余計にディカプリオがキレイに見えたりもしたんですけどね。一カ所、先にも触れたロンドンでヴェルレーヌがランボーを置き去りにするとき、ランボーに酷いことを言われて涙を拭くヴェルレーヌは本当に可哀想で、そこだけは感情移入しました。慰めてあげたかったです(笑)。
冒頭に流れる字幕で、ランボーとヴェルレーヌはこう評されています。
While Verlaine was a great poet, Rimbaud was a genius - a revolutionary.
ヴェルレーヌが偉大な詩人だった一方で、ランボーは天才---革命家だった。
それをベルレーヌ自身が嘆いている様子は映画の中にはありませんが、天才のパワーに振り回されてヴェルレーヌは惨めでした。だからと言って文学史上のヴェルレーヌが卑下されるべきではないはずですが。その意味で、この映画でのランボーとヴェルレーヌは、「アマデウス」のモーツアルトとサリエリと似ていました。あれは二人が対立関係でしたが、天才の近くで同じ分野で仕事をするハメになった人って気の毒というか。その哀しさも文学的ですごくいいんですけどね。
「太陽と月に背いて」を撮ったとき、ディカプリオは20歳だったはずです。やっぱりすごい才能だと思う。ヴェルレーヌにお互いに助け合う「取引」を申し出て、そのままベッドに倒れ込んだときの淫乱さ、公の場で奇行を繰り返す奔放さ、ヴェルレーヌに対するサディスティックな態度、ときおり見える少年の表情・・・・。晩年(と言ってもランボーが亡くなったのは37歳の若さでしたが)の部分はどうしても子供が年寄を演じているような無理があったけど、それはまあしょうがないだろうし。メイクでも若さが隠しきれなかったというか(笑)。特に同性愛の面で、ディカプリオがどんな心境でこの役を演じたのか、インタビューが残っているなら見てみたいです。
ちなみにタイトルですが、原題は「Total Eclipse(皆既日食)」です。すごく合ってるような気もするけど、どこから皆既日食が出て来たのか意味不明とも言えますよね。その難解さとランボーの作品の難解さがつながるような(笑)。もしかしてこれも詩から取られてたりして!う〜ん。邦題の「太陽と月に背いて」はもっと説明的なようで、やっぱりよく分かりませんよね。でも、よく分からないタイトルがこの映画には合ってると思います。
・・・そうそうそう、今回分かったことの一つが、今日探したお酒のアブサンでした。透き通った緑色のお酒で、グラスの上に専用のスプーンに載せた角砂糖を置き、その上から冷水を注ぎ入れると白濁した緑に変わるのです。ハーブでできたお酒で、アルコール度はかなり高く、40%から90%のものまであるようです。今日見つけたアブサンは、グラスやスプーン、氷水を注ぐためのピッチャーまでセットになっていて高くて諦めましたが、ランボー達が活躍した19世紀末のパリでは安く手に入ったそうで、中毒になった大勢の中にはヴェルレーヌ、ロートレック、それにゴッホがいました。値頃だったのに加えて見た目の面白さや味もクセになるものらしく、ファンが多かったようです。幻覚を引き起こすとも言われ、いくつかの国で禁止された時期もありました。