www.nikonikki.com
j-title.jpg

ケパニワイ公園・日系移民の歴史

イアオ渓谷のすぐ近くにケパイワニ公園という、ちょっと面白い公園があります。マウイに来た移民とその歴史を紹介する野外展示のような場所で、日本をはじめ、中国、韓国、ポルトガルなどの国を記念したミニチュアの建物と庭園があります。バーベキューの施設もあり、絵を描いたりザリガニを捕まえたりして地元の人も利用していますが、イアオ渓谷の行き帰りに立ち寄る旅行者もたくさん見かけます。

離れてみると祖国が懐かしいもので、少しでも日本に関わるものに出会うと嬉しくなりますが、そういう物たちを見ているうちに、これまで知らなかったハワイの日系移民の歴史が少し分かってきました。

j-1.jpg

ハワイはアメリカ合衆国のなかで最も日系人が多い州で、ハワイの全人口の4分の1、約25万人が日系人です。私が住んでいる地域でも、日本人によく出会うし日本の食糧も豊富なので、日本人が暮らしやすい外国だと思います。こんなに日系人が増えたのは、19世紀後半に移民政策で多くの日本人がハワイに渡ったからでした。

当時、ハワイの産業はサトウキビのプランテーションが支えていました。現在でもマウイには広大なサトウキビ畑があります。このプランテーションは白人が経営し、先住のハワイアンを労働力として使っていましたが、異文化とともに白人が持ち込んだ病気に免疫のないハワイアンは勝てず、人口が激減。そこで、労働力確保のために海外からの移民政策が始まりました。まずは中国人、続いてヨーロッパ、そして日本に移民の要請がきたのです。

j-3.jpg

こうして移住してきた人々は過酷な労働に耐えました。炎天下での長時間労働に加え、サトウキビの鋭い葉やムカデなどから身体を守るため、完全防備で働いたのです。上の写真はそんな時代の日系一世の像です。(砂糖資料館には女性の作業服が展示されています)

上の像の日本人は洋服を着ていますが、彼らがハワイに来た19世紀末から20世紀初頭といえば、まだまだ和服が普段着の時代でした。ところが、彼らが来ていた和服は農作業には合わず、そのころアメリカ本土から来る旅行者が来ていた開襟シャツを見て、中国系・日系の移民は自分たちの服を作り直しました。

そんな作業着にとあるテーラーが目を付け、アロハ・シャツという名称を商標登録したのが1936年。その後、ハイビスカスやプルメリアなどの花柄も登場し、色も柄も豊富になりました。現在ではアロハ・シャツはフォーマルウェアになり、アロハ・シャツを制服にしているホテルやお店も多いです。いかにも南の島らしく見えるアロハ・シャツが、実は移民達の作業着を起源にしているというのも面白いですね。

j-2.jpg

ところで、この公園の名前ケパニワイ(kepaniwai)は「水の流れを堰き止める」という意味。ハワイ諸島を統一したカメハメハ一世がマウイに攻めてきたとき、イアオ渓谷で激しい戦闘が行われ、イアオ川の流れが死体で堰き止められたという出来事にちなんでいます。このときカメハメハ一世にはイギリス人の軍事顧問がついていて、武器もイギリス製のものを使ったらしい。私自身がマウイに住む外国人なので複雑な気持ちですが、私達が憧れる楽園を壊している一番の原因は私達にあるのです。一見のどかですが、重い過去を背負った、知れば知るほどちょっと暗い気分になる場所です。

マウイ地図
前へ >> 目次 >> 次へ
Copyright (c) 2003-2009 Niko. All rights reserved.